オープンなメディアの限界【051】

まだうまく言語化できていない。

が、2023年初頭現在のSNSなどのオープンにユーザー同士が自由に交流ができてしまうメディアについては、限界がきていると思う。

発信者がいわれのない攻撃や非難を受けたり、たとえ意図はしていなくとも、精神的な苦痛を感じたりするようなプラットフォームは普通に考えておかしい。

テレビで言うと、「嫌なら観るな」の論争みたいなものか。

いずれにせよ魅力的な発信者ほど、そういう汚らしいプラットフォームからは離れていく。衰退していくということ。

つぎにくるメディアプラットフォームは、そういうストレスを感じることがない、もしくは少ない、発信者がある程度まもられていくようなコンセプトのようなものではないか。

そう思い至ったのはもちろんおむすびチャンネルの存在があるからであって。そういうコンセプトにいちはやくきづいてサービスインしているおむすびもすごいし、そこにいちはやくとびこむ人たちもすごい。

ただし、だからといって、交流を前提としてSNSのようなサービスが完全に淘汰されるとも思わない。意見を交わす場はとても貴重。

それを求める者が、リスクを覚悟で使っていけばいいと思う。

つまり、棲み分け、使い分けが進んでいくのだと思う。社会浸透にはまだ時間がかかるだろうが。

広告の出し手の都合による、化け物ビッグメディアは少なくなっていく。広告主からするとますます苦難な時代になっていくか。

アメリカのテレビネットワークの視聴率と、日本のテレビ業界の視聴率との違いみたいなものかと思う。

分散化、複雑化していくということ。

以上。

書いてて思ったが、自分は思考したこと書きたいんだな。残したいんだな。

そういう欲があるらしい。だから思ったとおり書いていく。

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